問題を選んで解く
▶戦争・戦い
14問初級 0中級 7上級 7
戦争・戦い
14問アクティウムの海戦で敗れた側の国の1つはカルタゴである。 ただし、古代の地中海世界で起こった戦いについて述べたものとする。
ペロポネソス戦争で勝った側の国の1つはスパルタであり、敗れた側の国の1つはプトレマイオス朝である。 ただし、古代の地中海世界で起こった戦いについて述べたものとする。
カイロネイアの戦いで勝った側の国の1つはマケドニアであり、敗れた側の国の1つはアテネで、テーベもその1つである。 ただし、古代の地中海世界で起こった戦いについて述べたものとする。
イッソスの戦いで勝った側の国の1つはマケドニアであり、敗れた側の国の1つはアケメネス朝で、共和政ローマもその1つである。 ただし、古代の地中海世界で起こった戦いについて述べたものとする。
マラトンの戦いで勝った側の国の1つはアテネであり、敗れた側の国の1つはスパルタである。 ただし、古代の地中海世界で起こった戦いについて述べたものとする。
アクティウムの海戦が起こったのは前31年であり、敗れた側の国の1つはプトレマイオス朝である。 ただし、共和政の時代から帝政の始まりまでのローマについて述べたものとする。
カイロネイアの戦いが起こったのは前338年である。 ただし、古代ギリシアの戦いについて述べたものとする。
ポエニ戦争で勝った側の国の1つは共和政ローマであり、敗れた側の国の1つはカルタゴである。 ただし、古代の地中海世界の国家と戦いについて述べたものとする。
サラミスの海戦で敗れた側の国の1つはアケメネス朝である。 ただし、古代の地中海世界の国家と戦いについて述べたものとする。
ペロポネソス戦争が始まったのは前404年であり、敗れた側の国の1つはアテネである。 ただし、古代ギリシアのポリスやマケドニアが戦った戦いについて述べたものとする。
サラミスの海戦が起こったのは前480年であり、敗れた側の国の1つはアケメネス朝である。 ただし、古代ギリシアのポリスやマケドニアが戦った戦いについて述べたものとする。
イッソスの戦いが起こったのは前333年である。また、勝った側の国の1つはスパルタであり、敗れた側の国の1つはアケメネス朝である。 ただし、古代ギリシアのポリスやマケドニアが戦った戦いについて述べたものとする。
マラトンの戦いが起こったのは前470年であり、敗れた側の国の1つはアケメネス朝である。 ただし、古代ギリシアのポリスやマケドニアが戦った戦いについて述べたものとする。
カイロネイアの戦いが起こったのは前371年である。また、勝った側の国の1つはマケドニアであり、敗れた側の国の1つはアテネである。 ただし、古代ギリシアのポリスやマケドニアが戦った戦いについて述べたものとする。
▶王朝・国家
5問初級 1中級 1上級 3
王朝・国家
5問西ローマ帝国の滅亡が起こったのは476年であり、西ローマ帝国を滅ぼしたのはオドアケルである。 ただし、ローマ帝国の後期の皇帝と出来事について述べたものとする。
ローマ帝国はコンスタンティノープルに都を置いた。また、ローマ帝国の領土が最大になったときの君主はオクタウィアヌスである。 ただし、ローマ帝国の皇帝と統治について述べたものとする。
プトレマイオス朝はアレクサンドリアに都を置いた。 ただし、古代の地中海世界の国家と戦いについて述べたものとする。
カルタゴを滅ぼしたのは共和政ローマである。 ただし、古代の地中海世界の国家と戦いについて述べたものとする。
セレウコス朝はアテネに都を置いた。また、セレウコス朝を滅ぼしたのは共和政ローマである。 ただし、古代の地中海世界の国家と戦いについて述べたものとする。
▶政策・改革
12問初級 6中級 6上級 0
政策・改革
12問キリスト教の国教化を推し進めたのはユスティニアヌス帝である。 ただし、ローマ帝国の後期の皇帝と出来事について述べたものとする。
ミラノ勅令が定められたのは313年であり、推し進めたのはコンスタンティヌス帝である。 ただし、ローマ帝国の後期の皇帝と出来事について述べたものとする。
専制君主政を推し進めたのはディオクレティアヌス帝である。 ただし、ローマ帝国の後期の皇帝と出来事について述べたものとする。
陶片追放を推し進めたのはクレイステネスである。 ただし、古代ギリシアのアテネの制度について述べたものとする。
キリスト教の国教化を推し進めたのはテオドシウス帝である。 ただし、ローマ帝国の後期の出来事・皇帝・公会議について述べたものとする。
ミラノ勅令を推し進めたのはディオクレティアヌス帝である。 ただし、ローマ帝国の後期の出来事・皇帝・公会議について述べたものとする。
アントニヌス勅令が定められたのは212年であり、推し進めたのはカラカラ帝である。 ただし、ローマ帝国の皇帝と統治について述べたものとする。
四帝分治制を推し進めたのはコンスタンティヌス帝である。 ただし、ローマ帝国の皇帝と統治について述べたものとする。
元首政を推し進めたのはカエサルである。 ただし、ローマ帝国の皇帝と統治について述べたものとする。
ミラノ勅令が定められたのは325年であり、推し進めたのはコンスタンティヌス帝である。 ただし、ローマ帝国の皇帝と統治について述べたものとする。
元首政が定められたのは前27年であり、推し進めたのはオクタウィアヌスである。 ただし、共和政の時代から帝政の始まりまでのローマについて述べたものとする。
ホルテンシウス法が定められたのは前287年である。 ただし、共和政の時代から帝政の始まりまでのローマについて述べたものとする。


